【ウズベキスタン】サマルカンドにも引けをとらない古都ブハラの魅力を紹介!
こんばんは、DAIです!
簡単に説明すると、
(To put it simply,)
個人的にサマルカンドよりブハラの方が好き
(I prefer Bukhara to Samarkand)
他の都市とは違い、珍しい色や外観を持った建造物がある
(There are several buildings which is having rare color and appearance)
2019年8月15日(日本時間より4時間遅れ)にサマルカンドから約4時間半かけてブハラという町へ。
いつもシェアタクシーで移動しているけど、今回はバスを選択。
これが地獄の始まり…
- 地獄のバス移動
- サマルカンドではなくブハラに軍配?
- ブハラ歴史地区(Historic Centre of Bukhara)
- ウルグ・ベク・マドラサ(Ulugh beg Madrassah)
- チャル・ミナール(Char Minar)
- ポ・イ・カラーンとミナレット(Po-i Kalyan and Kalyan Minaret)
- ブハラ要塞(Ark of Bukhara)
- バラハウズ・モスク(Bolo Haouz Mosque)
- サーマーニ廟(Samanid Mausoleum)
地獄のバス移動
長めの雑談です。
出発して10分後、乗車していたバスの呼び子(おじさん)がボクに怪しげな緑の粉を寄越してきた。最初は断ったけど、めっちゃ勧めてくるので試しに舐めてみる。
5分後、激しい頭痛と吐き気。吐き気を紛らわすためにパンと果物を貰ってとにかく食う、そして水を大量に飲む。短期的な効果かと思ったけど、ずっと頭を振られている感覚。このおっさん、何をくれやがったんだ…!
それからの道中、一瞬でも集中力を切らすと吐いてしまいそうな雰囲気だったので、数時間、一点を見つめて深呼吸。周りの乗客はおっさんと「あの粉あげたの?」みたいな会話をしている。みんなヘラヘラしやがって…!
そして、突然の乗り換え。「ブハラだろ?乗り換えだ」と言ってくる。かなり急かされて座席から立つと、激しい立ち眩み。もう真っすぐ歩けません。「走れ」みたいなジェスチャーをされるが体が走れないと訴えている。手を引っ張るな…!
やっとのことで乗り込み、ドライバーの横で荷物を投げぶっ倒れる。
周りの乗客がスゴい見てくる。近くにいた人たちに粉を飲んだというジェスチャーをすると、みんなしてニヤニヤしてきた。薬系ではないと悟って安心したが、こやつらの反応がマジで腹立つ。みんなニヤニヤしやがって…!
忍耐。耐えぬいてバス停車。しかしただの大通りの路肩。
バスのドライバーがお金を請求してくる。最初に乗ったバスで清算済みだっての!話しかけるなっての声大きいっての!!
解決後、タクシードライバーが駆けつける。一難去ってまた一難かよ。吐き気はなくなったけど、頭痛は健在で今にでも地面に倒れ込みたいくらいの状態。
とりあえず決死の値段交渉とドライブを終え、予約していたホステルへ。
到着するとホステルの女性が、「トラブルでドミトリーのベッドが確保できていないの、ごめんなさい」と言う。うそでしょ…
何やら別館に通されて部屋に案内される。そしたらまさかの、
色んな事がある一日だなと思いながら、ベッドに突っ伏しノックアウト。
後日聞いてみたら、それはタバコの粉でした。
ちなみにバス代は35,000ソム(約400円)、シェアタクシー代は7,000ソム(約80円)。
サマルカンドではなくブハラに軍配?
翌16日は、体調不良につきホステルから出ず。17~18日にブハラ市街地を散策。
結論から言うと、サマルカンドよりブハラの方が魅力的だった。
サマルカンドはメインスポット1つ1つに人気と貫禄があるので、メイン→メイン→メインになってしまう傾向がある気がする。
一方、ブハラはメインスポットを巡る道中に裏路地もあったりして、時々そこを覗いてみたくなる。メイン→裏路地→メインとなり、スポットも街の生活感も感じることができる気がする。
以上、個人的な推しでした!
今回はブハラの歴史地区について紹介します!
ブハラの歴史地区は世界遺産に登録されていて、訪れた世界遺産の数は47件となりました!
ブハラ歴史地区(Historic Centre of Bukhara)
古代では、ソグディアナ(サマルカンド、ブハラ、タジキスタンのソグドから成る一帯)の中心的存在。
9世紀後半~10世紀末ではイスラム系の王朝サーマーン朝の首都として位置づけられる。
16世紀後半にはブハラ・ハン国の首都(ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの一部に存在した国)として、町は成長していった。
シルクロードの交易地であると共に様々な時代で重要な役割を担った古都ブハラには、現在も当時を物語る多くの建造物が残っている。
世界遺産の基本情報
登録基準の詳細はこちらをご参考ください
ウルグ・ベク・マドラサ(Ulugh beg Madrassah)
ティムールの孫で天文学者のウルグベクによって建てられたマドラサ(イスラム教の神学校)。
シンメトリーで構成されている建物の外側から見ても、2階部分に部屋があるのが分かる。
サマルカンドでも似たような内部はあったけど、こっちの方がコンパクトな空間。お土産屋として機能している部屋は少なく、サマルカンドのマドラサよりは大人しかった。
建物を全体的に捉えると今なお美しく見えるけど、近くで見るとタイルが剥がれてあったりと、古い建物だけあって劣化は否めない印象。それがまた良い!
チャル・ミナール(Char Minar)
4本のミナレットを意味するチャル・ミナール。
17世紀初頭にトルクメ人の富豪によって建てられたもので、寄り添っているように見えるミナレットが特徴的。よく見ると、少しずつミナレットのデザインが違うのがわかる。
内部はお土産屋になっていて、特に見るところなし。
ミナレットの1つに鳥がいる。明らかに人が置いたであろう籠があるので、ここに住んでるんだろうか…
ポ・イ・カラーンとミナレット(Po-i Kalyan and Kalyan Minaret)
1127年に建てられたブハラのシンボルともいえる建造物。カラーンはタジク語で偉大を意味していて、その名前に見合った大きさを誇っている。
ポ・イ・カラーンの前にあるミナレットは約46mある。派手な装飾や色は使用していないけど、近くで見るとその重厚感に圧倒されてしまう。
入場料は8,000ソム(約90円)。
内部空間は縦に長くなっている。連続して並んでいるアーチ状の各部屋を横目に奥へ進むと、1つの大きなドームが見える。
チャル・ミナールを見た後だったので、ドームにより凄みと上品さを感じた。
入り口側を振り返ると、小さな2つのドームがあったことに気づく。しかし、そのお株を奪うかのように聳え立つミナレットの存在感…!!
ブハラ要塞(Ark of Bukhara)
紀元前3世紀のブハラの最古遺跡。
ブハラ・ハーンの居城で、時代と共に何度も崩壊・再建を繰り返してきた。
高さのある城壁に囲まれて要塞化している。王族の居城だけあって城壁の範囲も広い。
入場料は30,000ソム(約350円)。結構高め…
内部は白を基調として壁面が続いている。意外とシンプル。
先を進むとハン(君主の称号)の王座や、展示館、モスクなどがあり、それらの周辺に民芸品が幾つか並んで売ってある。
奥にはブハラの町を一望できる場所もあり、ブハラ要塞前にある展望台に行かなくてもここで十分堪能できる。行ってないけど、展望台は有料とみた…
バラハウズ・モスク(Bolo Haouz Mosque)
ブハラ要塞の近くにある、ブハラ・ハン専用のものとされているカラフルなモスク。
ハウズは溜め池を意味しており、モスクの前には小さな池がある。入り口付近にある柱の数は20本なのに、別名は40本の柱と呼ばれている。
これは、溜め池に映る柱もカウントしているからだという。
上品よりも近代的という印象が最初に受けた内部。
ここでムスリムの女性に一緒に写真撮ってと言われる。どこの国の人も自撮りがうまいのね…
サーマーニ廟(Samanid Mausoleum)
サーマーニ朝の王族の霊廟。
こんなの初めて見たと感じた外観は、複雑にレンガが積み重なっていて細かいジェンガのような見た目。中央アジアにある最古のイスラム建築とも言われていて、歴史的重要度も高い。
入場料は5,000ソム(約60円)。
中央から少し入り口側にズラした場所に墓が置かれている。ここばっかりは、廟の人物よりもカラクリめいた内部のレンガ構造にずっと注目してしまった。
バラハウズ・モスクもそうだったけど、ブハラには少し珍しい様式を持った建造物がある。なので、サマルカンドで青い都を見過ぎたからと言って、ブハラで見飽きることはない!!
これからさらに西へ向かい、ヒヴァに行きます!
ではまた!